三者三様

久しぶり大学の友人たちと飲んできた。

 

ビールフェスや地域飲みと称して、年に3〜4度会っている。誘わなければ、なかなか会えないのだ。

 

生活を営むために、それぞれ思い思いに働いている。そこにはリアルがあるなあと思った。

 

学校関係者は私を含めて2名。それぞれ違う立場で、学校の現場に関わっている。

 

それから、郵便局員に、ICの梱包業務作業員、SEなど、同じ大学卒なのに、業種も様々だ。

 

いづれも、大学時代にできた交友関係だ。

地域も、生い立ちも、学んできたことも違う皆ではあるが、音楽という共通点で知り合う。その関係も、もう10年も経っている。

 

その10年間に、それぞれが知らない歴史を歩んでいるのだ。

 

ある者は転職を繰り返し、ある者は仕事中にスマホをいじることができる。ある者は土日もなくはたらき、ある者は自分の子どもの世話により、なかなか会うことがない友人もいる。

 

三者三様の中で、自分はつくづくめぐまれているなあと思う。

 

愛する人と出会えて、行きたい所にも行くことができ、休みは少ないが、真っ当に生活するだけの賃金をもらえる。

 

もちろん個人の努力と情熱と可能性という意味では、人には負けないくらい励んだし、励み続けている。

 

不満も、もちろんある。そして、今はある程度満たされた状態である。

 

 

しかし、だからこそ、これでいいのかと考えざるを得ない。

 

今の状態が40年も続くと思うと、やってはいけないと感じる時がある。だからといって、退職し、別の仕事に就くかと言われても、そんなことが出来るのか分からない。

 

いや、できたとして、40年後、どうなっているかなんて検討もつかない。

 

 

きっと答えは自分が生み出すものだろう。

日本人的人種差別

私にとっても盲点に感じた人種差別について触れたい。

 

これはあるALTとの会話で気づいたことだ。

それは日本人は、自分たちが人種差別をしていることに気づかずに差別をおこなっていることがあるということだ。

 

 

 

 

諸外国と比べて、日本のいい面も本当にたくさんあると思う。

しかし、社会状況が変化していく中で、遅れている面も多くあるだろう。

 

これからの少子高齢社会の労働力確保や、人口の問題でどんどん移民が増えていくのは明白だ。

 

そこで、おそらく日本でも人種の問題は、諸外国がそうであるように、大きな問題になるだろうと想像する。

 

これまで、日本はほぼ単一民族のなかで生きてきた。

つまり、宗教も肌の色も特にそれほど気にする必要性がなかった。

それは違いというものに曝されずにこられたということだ。

 

 

教師になる前に、私は英語を学んでいる身だったこともあり、海外生活をした。その中で、マイノリティーを感じたことがある。また、日本人ということで馬鹿にされたこともある。屈辱も経験した。多くの人種の中で、自分としてはいろんなものを受け入れながら、英語を学んだ。そんな国際感覚を養っていく機会を手にした。

 

だからこそ私自身人種差別者ではないと、近代的思想を持った公平な考え方を持った人物であるという自負を持っていた。そして、日本人は差別しないと、無意識的に思っていた。しかし、それはあまりにも世間知らず、現実をわかってないのであった。

 

 

ALTと話したのはこんな経緯であった。

 

最近のアメリカの大統領の話。それにつながるアメリカの人種差別の問題、KKKなどの歴史的な話。イスラミックステイトの話。この現代において、なぜ差別は消えないのか?さらに複雑化し、混乱し、理解し合うことができないのかを話していた。

 

なんとなく、会話が少し噛み合わない。そんな気がしていた。なぜかというと、日本では差別の問題は、地域的な問題くらいでほとんどないという考えが私の中にあったからだ。そして、それにALTは気づき、今の日本の現状を指摘した。

 

ALTの口から娘さんの話が飛び出した。

その子は日本の普通の幼稚園に通っている。見るからに外国人の見た目をしている。

日本語も少し話す。学ぶことができるが、能力的には英語の方が優位だということだ。

 

私も何度も会っていて知っている。

その子はとても賢く、礼儀正しい。見た目もかわいい。

 

数年幼稚園に通って、どうしても日本の小学校には通えないという判断を、家族でしたようだった。

 

その一番の原因が、差別だった。

 

 

その詳しい話を聞いた時、私はあまりにもショックで、同じ日本人として悲しくなった。しかし、同時になにを見落としているのかやっと気づいた。

 

実際やったことのないスポーツの辛さや厳しさ、難しさを、さも知っていると理解していると思い込んでるようなものだ。なんて馬鹿なんだとすら思った。

 

日本人は、違いについてあまり考える機会すら持てなかったから、大きな問題にならずに済んだだけだったのだ。日常的に関わることになったら、おそらく人種差別の問題が大きな話題になると思う。

 

そもそも今の状態では免疫がないのだ。なぜなら、風邪やインフルエンザを発症したことすらない。無菌状態というところだ。しかし、今後日本でもそれらの問題を解決し、乗り越えるようとする必要性がでてくるのだろう。その時のためにも、いろんな形で学んでいきたいし、伝えられることがあれば伝えていきたいと思う。

 

いや、単純にALTの娘さんが、安心して楽しく学校に通えるような日本を作りたい。

 

 

一喜一憂

私はつくづく思う。

 

日本人は、他者に依存しすぎだ。

 

これまでの自己分析と、そして友人たちとの話を通して、度々思う。

この依存という輪の中から抜け出すにはどうすればいいかその方法について、もう何年も考えている。

 

 

もちろんだが、私は純粋な日本人の一人だ。

だからこそ、人間関係の中でどのようにその依存的思考が自分を、友人たち、職場の同僚たち、そしてこどもたちを支配しているか、考えて止まない。

 

 

 

私は大学時代、ギターを弾いたり歌ったりして、バンド活動にその時間の大半を費やした。

 

バンドを組む上で、またライブをやる上で、個人の技量というのはとても大事だ。

 

人に見てもらいたい。良いライブだったと褒められたい。カッコよかったといってもらいたい。自分の好きな、素敵な音楽を知ってもらいたい。上手い人と知り合って認めてもらい、また音楽的な高みにいきたい。

 

モチベーションとなるのはこんなところであった。

その中でも、他者の評価の呪縛によって時に苦しめられる。

 

他者の評価とは、いつでも揺れ動くものだ。

気分や偏見などでいとも簡単に歪められる。そのような他者評価によって、時に喜び、時に辛く感じてしまう。

 

これは音楽をやっている時だけの話ではない。

 

友人たちにどう思われるかを気にしなければならなくなったら最後、とことん傷ついてしまうことも多い。

 

人間関係で、逃げる手段ばかり取ってしまうと、逃げ癖がついてしまう。もちろん、人間関係で疲れたらグループや友だちと離れて、たまには1人でいればいいのだ。

1人でいるのに、慣れた方がいい。

 

私もよく経験した孤独がある。

 

繋がっているようで繋がっていない孤独だ。

 

一人でいるのは大丈夫でも、大勢のなかにいる時や友達といる時に強く感じる孤独。耐えられないなあと感じたこともあった。

孤独っていろんな形があると思う。特にいま言及している孤独こそ、受動的で、自己中心的だった。友人や誰かに自分という存在に気づいて欲しい。声をかけて欲しい。心にふれてほしい。そんな状態であったと思う。ある意味、友人を試しているし、自分という存在を試している。そして、最後にはひどく落ち込むのだ。本当にばかげていた。

ただ繰り返しの中で、気づく。

 

自分は何かに期待しすぎなのだと。

自分を人に捧げてばかりでは、自分は支えられない。

自分を愛してあげることができなければ、真に人を愛することはできない。

 

なにより大事なのは、自分という人間を認めて許すこと。

自己の存在が揺らぐほど他者に自分の根幹たるものを委ねないこと。

 

自分の秘密は自分だけのものにする。

 

 

 

競争化社会を生きていく上で、人と比べて生きる人生には疲れる。

かといって、巷ではやっている自己啓発の本を鵜呑みにするのも何か違う。

ここに書いたような自己の拡大ばかりではだめだ。

 

なによりもバランスが大事だと思う。

とにかく、身体的にも精神的にもバランスを崩すようではその考え方は誤りだと理解したい。

 

仕事でも、一喜一憂しすぎて辛い時が頻繁にある。

 

 

バランスを一人では保てないことも多い。

 

いろんな人に会い、話をしたい。

エネルギーの充電のようなものだ。

そして、時には自分のエネルギーを分け与えられたらいいかなと思う。

 

幸せに暮らすために、やはり、人とつながって生きていく。

 

その方法を体当たりで学んでいるのは、学校でも生徒だけではない。

 

 

30代クライシス

今年で、とうとう30代になる。

 

やりたいことを色々やってきた。

 

30前にどうしてもやりたいと思って、念願だったアメリカ旅行にいった。めちゃめちゃ忙しいのに、仕事を年末年始の12月29から1月の3日まで休んだ。

 

サンフランシスコを経由して、ラスベガスに行く。そこから、車を借りた。

 

車はジープ。できるだけ大きなアメ車に乗りたかった。いざセドナへ、440キロのドライブ。

アメリカラスベガスをおっかなびっくりで走行し、ハイウェイをすごい速度で飛ばして走った。夕方になり、夜になった。星空へ続くようなどこまでも続く道をひた走った。

まるで宇宙にたどり着けそうな気がした。

 

暗い森の中をどこまでも走り、山を越えセドナにつく。日本にも訪れたことのあるという、イングランド人の高齢の女性が経営する居心地のよいペンションに泊まる。次の朝にカーテンを開けると雄大な景色が広がった。

 

昨夜は暗くて、どんな場所か分からなかった。朝起きてびっくりした。赤い大きな岩肌が周りを取り囲んだ街だった。

 

スピリチャルな体験をし、ロックをいくつか登る。うまい飯を色んな所で食べた。

 

ロックは男性性と女性性のパワーが流れているという。まず男性性のロックに登る。かなり息苦しくて気分が悪くなる。その後、気分が戻るまで飯も食えなかった。その後、女性性のロックに登る。こちらは全然余裕だ。不思議だ。気のせいだろうか。景色がよく。清々しい。

 

ちなみに私は全くといってスピリチャルなものを信じていない。しかし、信じてみたいなとは思っている。ともかく女性性の気の方が合っているのだろう。セドナでは一通り楽しんだ。

 

また帰りの440キロ、ラスベガスへ戻る。それに加えて、途中にあるルート66を走る。途中で見つけたアメリカのオールドスタイルのハンバーガー屋でハンバーガーとルートビアを平らげる。

 

年越しカウントダウンをラスベガスの街で過ごした。至る所でマリファナの匂いを感じた。年越しへの歓喜なのか、集まった群衆は異常な盛り上がりだ。

 

人の渦で全く身動きが取れない。

3.2.1

カウントダウン後に空には花火が上がる。歓声。

 

すごいエネルギーのある所だ。

 

泊まる所が予約できなかったから、その辺でピザを買って、ホテルのパーキングに停め、車の中で眠る。深夜2時に警備員が声をかけてくれた。安心して寝ていいよ。僕らが見張っているからといってくれた。なんて優しいのだろう。

 

それから昼過ぎまでまったく起きなかった。

 

 

予てからホテルのショーが観たかったので、シルクドソレイユのラブを観に行った。内容は、ビートルズの曲と共にビートルズの歴史を象徴的に踊りながら見せてくれた。

 

どうしてこんなにもビートルズが愛されているのかが少し分かった気がした。彼らが伝えていた愛とは色んな形があるのだった。愛とは何か、初めて深く考えてみたくなった。

 

ホテルのカジノで時間を潰し、車を返却し、空港に戻る。まだ深夜11時だ。近くのバーでビールを買う。買うときに冷やかされる。ボーイにはビールは早いんじゃないか?ボーイじゃないし、もう11時だ。ビールをくれ。周りの客もニコニコしている。この口の悪い店員は嫌いじゃない。遅刻して飛行機代をパーにした客の散々な日の愚痴を聞きながら、ビールを飲む。その後で仮眠を取る。朝4時ごろの便だ。

 

あっという間に、冒険のような旅が終わる。

旅は終わってしまった後で、充実感を感じた。その一方、収束してしまったという、終わってしまったという気持ちが自分を支配した。

 

また日常に戻ることを受け入れなければならない。

 

今の仕事は充実していて、楽しい瞬間も多い。素晴らしいことだ。

しかし、プラスにもマイナスにも心動かされることが多く、心を無にしないと辛くてやっていけないときもある。

 

30代このままではいけないと思う。

何ができるのだろうか?何をしたいのだろうか。忙殺されるのだけは嫌だ。

 

考えよう考えよう。

 

そうやってあっという間に何もできず年を取っていく自分に嫌気がさす。

 

バベルの塔に登りたい

現在、バベルの塔展が上野の東京都美術館で開催している。

 

普段職場に行く途中や帰る途中にコンビニに立ち寄ることがあるのだが、そこでカッコいいポスターを発見した。

 

ポスターの中心には

 

燃えるような赤いレンガと、無数の緻密に描かれた作業している人々、まるで崩壊したような建設中のバベルの塔の絵が異彩を放っていた。

 

 

一瞬で目がそこに釘付けになった。

瞬時に理解した。

 

私はこれを見なければならない。

 

 

 

 

私は、これまでボスやブリューゲルなど全く知らないし、ましてや教会やキリスト教的な思想の芸術は大嫌いであった。

 

現地に着くと、閉館1時間前なのに多くの人がいて、じっとひとつひとつの作品に目を凝らしている。初めの方にはボスの作品が飾られている。赤、そして、白色がとても映えた描き方をしている。

 

版画は、本当に細部まで丁寧に、奇妙な光景を描き出している。ほんの一部だけみていても飽きないくらいだ。

 

 

何か想いが描かれているのだろうと、丁寧に人物の歴史や年表、芸術の流行などの記載をじっくり時間をかけて読んだ。

 

多くの興味深い考え方に触れることができた。

 

宗教を芸術の題材にしてきた時代から、題材を人々の生活に移していったこと

 

人々の生活を大きく描き、小さく宗教的な要素を織り交ぜたり、象徴であるモチーフ、例えば熊や梟、人の中に居酒屋、数多くのモンスターなど、を入れることで暗示的な作品にすること

 

写実からすこし離れて、より現実をリアルに表すために多少なりデフォルメを効かし、リアルさを追求したこと

まるで動きそうなくらい、奇妙なくらいに、リアルに感じた。多分プロジェクトマッピングでこれを弄っていったらすごい面白いのがつくれるかも。

 

 

人の列を避けながら歩くと、突如ブリューゲルのコーナーが始まる。大きな壁に、バベルの塔の一部が描かれている。

 

突き進んでいくと多くの人だかりが見えた。

やはり最後にはバベルの塔が展示されていた。

 

ブリューゲルバベルの塔からは、旧約聖書で描かれた、違う言語で混乱し、終いには散り散りにさせられた人間を、スケールのでかい塔の建設のなかで描くことにより、人間の可能性を鮮明に示していることがハッキリと読み取れた。

 

赤く、白く、崩れそうなバベルの塔と、そこで懸命に生きた人間と、人間を惑わし導こうとする神々

 

これまで宗教的な作品が苦手だった私が、意外にも心惹かれた理由は、ここにあるのかもしれない。

 

面談はお好きですか?

今週から三者面談がはじまった。

 

15分前後の中で話をする。

そんな短時間の中でも、色んな人間性が垣間見える。

 

子どもの日頃の行いの鬱憤を爆発させる方

あなたのお好きなようにと放任な方

学校に対して不満を持っている方

学校に感謝している方

子どもの様子を聞いてホッとしている方

子どもの成長を確認し、喜んでいる方

早く切り上げたい方

すごく子どもに優しく接している方

 

 

 

話すことはある意味限られている。

成績はまず真っ先にあがるんではないかと

 

 

教育現場はどうしても競争社会の部分があるので、成績が高い子ども、そうすると相対的に低い子ども両方存在してしまうんです。

 

 

全体に対して低いです。頑張って下さい。

と言わなきゃいけないお子さんもいるわけだよな。

 

何はともあれ、本人次第だと思う。

かといって本人だけの責任ではないのも事実。

家庭環境に、友人関係に、、、

 

しかし、成績に関して子どもは頑張っている。親の私も頑張っている。先生どうにかしてください。というのはどうも納得できない。

 

先生だって色んな意味で頑張っているよ。

わかってますか?

 

お子さんを周りの大人たちで、いい形でサポートしたいので、真の意味で協力し、お子さんの頑張りを本気で見守りたいと思いませんか?

 

不満をぶつけ合ってもいいことはない。もちろん不満を言わないと何も変わらないのも事実だから、必要に応じていうべきだ。ただ伝え方を工夫すべき。我々は社会に生きているのだから。

 

 

そんな私は意外に面談は好き。色んな方とお話ができ、子どもの普段見られない様子も見られるからだ。

 

人が生きていくのをサポートできるこんなに良い仕事は教師を除いて他にはない。

 

教育実習ってどんなものだったっけ

わたしが教育実習をしたのはもう8年も前になる。

初めて教壇に立たせてもらった。まだ教える技術とか知識とかそういう類のものは全くなかった。丸裸のような状態で、ただ懸命にこれが伝えたいという気持ちだけで指導案を書き、研究授業を行った。

 

研究授業までに、指導教官に指摘されたのは瑣末なことも多くあった。惹きつけ方、板書の分かりやすさ、発問の内容やタイミング、時間の管理。生徒の動かし方。それらに関しては、準備と練習を放課後残って延々とやったことでほとんど改善することができた。いつも20時くらいまで残ってやった。

 

一番の根幹にあった課題は、はつらつさと、これが伝えたいというエネルギーの大きさだったと思う。

 

教えることになった内容は、かなり概念的だった。モラトリアム、自我の確立、社会との関わり方、自己実現

 

 

研究授業の前に行った同じテーマの授業を何人かの先生に見てもらい、助言を頂いた。そこでかなり辛辣に批判されたおかげで奮発することができた。

 

授業を通して、知識を教えるのは当然である。

ただ知識を教えるだけの授業をやるだけなら、教師にならないほうがいいよ。何を伝えたいのか全然わからなかった。

 

当時、知識を如何に上手に伝えようかとばかり考えていた私にこの言葉は重く響いた。

 

私はこのテーマについて、そして私なりに自分の身の丈にあった伝え方を本気で向き合った。

伝えるべき知識と私の人生の在り方について、寝ている時も考えていたと思う。

 

考えを熟成させる時間を研究授業前に持てたのは、指導を行ってくれた先生方のおかげだった。とても感謝している。

 

 

ありがたく、研究授業では、本気で向き合ったことを伝えることができて、生徒、先生、教頭、校長多くの方に見てもらえ、お褒めの言葉を頂戴することができた。

 

本当に満足のいく授業ができた。いま振り返っても誇らしく思える。

 

正直、当時の私はいまの私に比べても半端なく教師として未熟であった。しかし、その向き合う経験ができた価値は今も自分のなかで輝きを失わない。

 

最近、教育実習生が私の勤務校に来ている。

熱意が溢れている学生もいるが、これじゃあ厳しいなあと感じる学生もいる。

 

やはり、一番大事なのは知識以上に熱意なんだと再度認識できる機会を与えてくれる実習生たちに、私も教わってきたことを懸命に伝えたいと思う。受け取る側の人間が本気であればあるほど、教える側も燃える。

 

さらに言うと、教師としての伝え方や在り方は、人に影響を与えられるように上手く確立するのも大事だ。それは大人としての技術やずるさだとも思う。

 

今日も、色んなことを感じて働けて幸せだと思う。