教育実習ってどんなものだったっけ
わたしが教育実習をしたのはもう8年も前になる。
初めて教壇に立たせてもらった。まだ教える技術とか知識とかそういう類のものは全くなかった。丸裸のような状態で、ただ懸命にこれが伝えたいという気持ちだけで指導案を書き、研究授業を行った。
研究授業までに、指導教官に指摘されたのは瑣末なことも多くあった。惹きつけ方、板書の分かりやすさ、発問の内容やタイミング、時間の管理。生徒の動かし方。それらに関しては、準備と練習を放課後残って延々とやったことでほとんど改善することができた。いつも20時くらいまで残ってやった。
一番の根幹にあった課題は、はつらつさと、これが伝えたいというエネルギーの大きさだったと思う。
教えることになった内容は、かなり概念的だった。モラトリアム、自我の確立、社会との関わり方、自己実現。
研究授業の前に行った同じテーマの授業を何人かの先生に見てもらい、助言を頂いた。そこでかなり辛辣に批判されたおかげで奮発することができた。
授業を通して、知識を教えるのは当然である。
ただ知識を教えるだけの授業をやるだけなら、教師にならないほうがいいよ。何を伝えたいのか全然わからなかった。
当時、知識を如何に上手に伝えようかとばかり考えていた私にこの言葉は重く響いた。
私はこのテーマについて、そして私なりに自分の身の丈にあった伝え方を本気で向き合った。
伝えるべき知識と私の人生の在り方について、寝ている時も考えていたと思う。
考えを熟成させる時間を研究授業前に持てたのは、指導を行ってくれた先生方のおかげだった。とても感謝している。
ありがたく、研究授業では、本気で向き合ったことを伝えることができて、生徒、先生、教頭、校長多くの方に見てもらえ、お褒めの言葉を頂戴することができた。
本当に満足のいく授業ができた。いま振り返っても誇らしく思える。
正直、当時の私はいまの私に比べても半端なく教師として未熟であった。しかし、その向き合う経験ができた価値は今も自分のなかで輝きを失わない。
最近、教育実習生が私の勤務校に来ている。
熱意が溢れている学生もいるが、これじゃあ厳しいなあと感じる学生もいる。
やはり、一番大事なのは知識以上に熱意なんだと再度認識できる機会を与えてくれる実習生たちに、私も教わってきたことを懸命に伝えたいと思う。受け取る側の人間が本気であればあるほど、教える側も燃える。
さらに言うと、教師としての伝え方や在り方は、人に影響を与えられるように上手く確立するのも大事だ。それは大人としての技術やずるさだとも思う。
今日も、色んなことを感じて働けて幸せだと思う。
初投稿なのだ
こんばんは。
私は自分の考えたことや思ったことをただ淡々と書いていきたいと思っている。
ここでは、敬語や丁寧語は文字数的にも、時間がかかるのでやめたいと思う。
さて、私は現職の教師で、高校生に英語を教えている。
英語が好きな上に、いろんな話題を話したりするのが好きな性格をしているから、別に日本語でもいいのだ。
初めの頃は、英語の学習を目的に話をしている方が、目的があって、しかもなにかと高揚感を感じることがあってよかった。
英語を話しているぞ〜ということもそうだし、英語の発話力が高まっているのも感じられるし、例えば先生にも褒められたりとよいモチベーションを保ちやすかった。
さらに言えば、コミュニケーションをするに当たって、英語で海外の方と話すとき、お互いのバックグラウンドが違うことにより、深い自己理解と他者理解ができることがとても気持ちの良い体験なのだ。
今は話すこと自体は自分にとって日常になってしまった。つまり当たり前すぎてなにも感じ無くなってしまった。いや一つだけ感じることがある。それは大きな不安だ。
さて、今回まとまりのない文章をだらだらと書いているのだが、今大きなフラストレーションを抱えている。
英語を教える仕事についてから、自分の英語力向上としてやっていたことを、全くできない仕事中心の生活に変わってしまった。そして、これまで必死に覚えてきたことがどんどん失われている感覚に、とても不安に感じるのだ。
以前はとんでもないくらいインプットをしていたから、不安は感じなかった。正直現状のままでも仕事は続けていけるのだ。
しかし、このままじゃいけないと強くかんじている。
やりたい、やらなきゃ、なかなか落ち着いて継続してできない、ああ自己嫌悪、力が失われる、不安
このサイクルを繰り返したくない。
初投稿でいきなりこんな話をするのもなんだが、英語を鍛えていくのに、記録をつけていこうと思う。そして、なんとなくその溜まったフラストレーションを吐き出していこうと思う。
それがここで書いていこうと思う中心となるテーマである。
それでも読んでくれる人はだいぶ物好きだとは思うが、そんな人はぜひコメントやメッセージをもらえると、とても嬉しい。
よろしく頼む。